アキーダとイバーダ【第2部 アキーダ (信仰行為)】1シャハーダ2サラート

イスラームのシャハーダとサラート
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1 シャハーダ

シャハーダ (証言)と はイスラームの核であり、次の2つのカリマによる信仰の証言です。


アシュハ ドゥ アンラー イラーハ イッラッラー
ワ アシュハドゥ アンナ ムハンマダン ラスールッラー

(私はアッラーのほかにイラー (崇拝の対象)はないことを証言します。また、私はムハンマドがアッラーの使徒であることを証言します。)

ムスリムはこのカリマの意味することに確信をもつことが大切です。しかし、これをただむやみに信じ込もうとしたり、理性だけで理解しようとするのは正しくありません。盲信と理性だけによる理解は両極端にありますが、ムスリムはその中道を行き、正しい知識に基づいた信仰を持つことが求められます。ですから、クルアーンとハディース (預言者ムハンマドの言行の伝承)を学び、正しい方法でサラートやサウムなどのイバーダ (信仰行為)を実践することによって、このカリマの真意を深く理解していくことがとても大切なのです。

アッラーは信仰の強制を禁じています。ですからシャハーダはいかなる圧力からも自由な状態で、自らの意志で行なわれなければなりません。

『宗教には強制があってはならない。正に正しい道は迷誤から明らかに (分別)されている。それで邪神を退けてアッラーを信仰する者は、決して壊れることのない、堅固な取っ手を握った者である。・・・』雌牛章 (第2章)256節

そして、次のアーヤにあるように、シャハーダは人生の終わる時までそれを堅持しつづけることで、火獄の懲罰からの救いとなります。

『あなたがた信仰する者よ、十分な長敬の念でアッラーを畏れなさい。あなたがたはムスリムにならずに死んではならない。あなたがたはアッラーの絆に皆でしっかりとすがり、分裂してはならない。そしてあなたがたに対するアッラーの思恵を心に銘じなさい。初めあなたがたが (互いに)敵であった時かれはあなたがたの心を (愛情で)結び付け、その御恵みによりあなたがたは兄弟となったのである。あなたがたが火獄の穴の辺りにいたのを、かれがそこから救い出されたのである。このようにアッラーは、あなたがたのために印を明示される。きっとあなたがたは正しく導かれるであろう。』イムラーン家章 (第 3章)102-103節

A 『ラー イラーハ イッラッラー』の真意

『ラー イ ラーハ イッラッラー』、このカリマはイスラームの核です。このカリマをより深く理解するために、これを単語ごとに見ていきます。

まず、初めの「ラー」は否定であり、それに続く言葉を否定します。次の「イラーハ」は前の「ラー」によって否定されている言葉で、これは「崇拝されるもの」と言う意味があり、次のような意味を含んでいます。

  1. 心から愛されるもの
  2. 怖れられるもの
  3. 助けを請い求められるもの
  4. その命令と禁止に服従されるもの

つまり 「イラーハ」とは愛と怖れと望みを持って崇拝・服従される対象であり、「ラー イラーハ」とは、「イラーはない」つまりこの地上にあるあらゆる崇拝を完全に否定しているのです。

そして次の「イッラー」という言葉ですが、これは 「…以外に」という意味であり、次に来る 「ッラー (アッラー)」を除外します。つまりここでは 「アッラー以外に」という意味であり、この地上で崇拝・服従されるべき対象は 「アッラーだけ」であることを強調しています。

ですから 「ラー イラーハ イッラッラー」とは、まずあらゆる「イラー」を完全否定し、そして至高偉大なるアッラーだけが真実の「イラー」であるということを述べたカリマなのです。そしてアッラー以外に対する崇拝や心の傾倒は、それがどんな形であれシルク (多神崇拝)とみなされます。

多くの人々が意識的か無意識的かを問わず、このシルク (多神崇拝)に 陥っています。例えばエゴイズムという自分自身に対する崇拝は、自分の定めた規則以外に従うことを拒否します。このような人は「自我」を 「イラー」とした人と言えます。至高偉大なるアッラーは語っておられます。

『あなたは自分の思惑を神として (思い込む)者を見たのか。あなたはかれらの守護者になるつもりなのか。』識別章 (第25章)43節

一方、ほかの人間の自我も 「イラー」になり得ます。例えばフィルアウンは自分自身を 「イラー」であるとした権力者でした。彼は全ての人々が自分に服従することを望み、人々にその欲望を強制しました。クルアーンにこうあります。

『フィルアウンは言った。「長老たちよ。わたし以外に、あなたがたに神がある筈がない。そしてハーマーンよ、泥 (を焼いた煉瓦)でわたしのために高殿を築け。そしてムーサーの神の許に登って行こう。わたしには、どうもかれは虚言の徒であると思われる。」』物語章 (第28章 )38節

フィルアウンのような権力者はいつの時代にもどこにでもいるものです。そしてそのような権力者や指導者を、アッラー以外のイラーとして服従している人々もたくさんいます。人間が他の人間のしもべとなることはいつの時代にも見られる問題です。ですから預言者たちはみな、唯一神アッラーだけに従うことを説き、特定の人間や集団を「イラー」とするあらゆる形のシルクを排除することに力を注いだのです。

また、人間の自我や欲望のほかに、それ自体は益も害も及ぼすことのできない物質も人々によって 「イラー」とされています。彼らはある特定の物質には特別な力が宿っていたり奇跡を起こしたりできると信じており、特定の日時に厳かな儀式を行なったりしています。彼らはそれで偽りのイラーから加護と救いが与えられると考えているのです。アッラーはこう語っておられます。

『かれらは、アッラーの外に邪神を選び何とか助けられようとする。それら(邪神たち)は 、かれらを助ける力はなく、むしろかれらの方が邪神を守るため軍備を整えている始末。』ヤー・スイーン章 (第36章 )74-75節

「アッラーの他にイラーはない」と証言したムスリムは、これら偽りのイラーから完全に自由であり、至高至大なるアッラーだけに帰依服従するのです。

B 『ムハンマド ラスールッラー』の真意

ムスリムが証言する二つ目のカリマは『ムハンマド ラスールッラー』です。これはムハンマド (彼に祝福と平安あれ)がアッラーの使徒である事を信じるという証言であると同時に、アッラーの使徒 (彼の上に祝福と平安あれ)の神性を否定しています。

アッラーの存在を証言することは、当時のクライシュ族の人々にとっても特にめずらしいことではありませんでした。彼らは先祖の教えであるアーダムとイプラーヒームの教えからアッラーの存在を知っており、日々の生活の中でもアッラーという言葉は使われていました。一方 、私たちの周りにも創造主の存在を認める人は多くいます。 しかし彼らは預言者の存在を信じません。このように、唯一神の存在を認めることよりもその使徒たちの存在を認めることの方が、いつの時代でも多くの人々にとって難しい問題となっているのです。

たとえアッラーの存在を認めたとしても、アッラーによって遣わされた使徒たちの存在も同時に認めるのでなければ、アッラーを正しく信仰したことにはなりません。アッラーは私たちを導くために預言者たちを遣わされたのですから、預言者たちの指導なくしては、創造主に正しく敬虔さを示すことは出来ません。また、明瞭な模範がなければ、迷った人生を正すことはできないでしょう。アッラーは アッラーの唯一性を証言するすべての人のために、ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)という人間をその模範として遣わされました。そして、アッラーの使徒 (彼の上に祝福と平安あれ)がサハーバ (教友たち)と共に築いた社会は、完成されたイスラーム社会のモデルとなっています。アッラーは語っておられます。

『われが使徒を遣わしたのは、唯アッラーの御許しの許に服従、帰依させるためである。・・・』婦人章 (第4章)64節

『本当にアッラーの使徒は、アッラーと終末の日を熱望する者、アッラーを多く唱念する者にとって、立派な模範であった。』部族連合章 (第33章)21節

『使徒に従う者は、まさにアッラーに従う者である。・・・』婦人章 (第4章)80節

「ムハンマドはアッラーの使徒である」と証言したムスリムは、彼によって伝えられた啓示の真実性を認め、全ての命令に服従し、禁じられたことを避け、使徒の行なった方法によってのみイバーダ (信仰行為)を 行ないます。

使徒 (彼の上に祝福と平安あれ)に 対してムスリムは、彼を愛し、尊敬し、擁護し、彼を愛する者を愛し、彼のスンナ(慣行)を実践し、彼のために多くの視福を祈り、そして彼のメッセージを守り、伝えていく義務があります。

これらの使徒に対する義務を行なうことによって、ムスリムは正しい道を踏み外すことなく、アッラーの使徒が示した方法で正しくアッラーを崇拝することができるのです。

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2 サラート

サラート

まえがき

イスラームは全世界の創造者であり唯一の神、アッラーのみを崇拝する宗教です。そして私たちの預言者ムハンマド (彼の上に祝福と平安あれ)が 、アッラーのみ使いであると信じ、彼の伝えた教えに従うことです。

イスラームには様々なことに関する教えがあります。もちろん一番大切なのは信仰ですが、信仰は心の中や口先だけではなく、実践することが大切です。預言者ムハンマド (彼の上に祝福と平安あれ)は人類が幸福になり天国へ入るための具体的な方法を示してくれました。ですから、イスラームの教えやきまりの中に、大変だったり難しいように思えることがあったとしても、それは長い目でみればすべて自分のためになることばかりなのです。

アッラーは非常に優しい御方です。人間のできないことは命じられません。ですから、もし精一杯努力をしてもできないようなことであれば、すべてアッラーは許してくださいます。イスラームには 「無理」とか 「強制」ということはありません。無理ではなく、自分にできるペースで、少しずつ勉強していってください。

サラートというのはイスラームの礼拝です。サラートとは、私たちが毎日食べるもの、着るもの、健康などすべて恵んでくださる偉大な養護者アッラーに対する感謝を表し、私たちムスリムがアッラーヘの帰依と服従を確認する行ないです。ですからサラートはすべてのムスリムの義務です。そこで毎日食物を食べるように、毎日サラートをするのです。

イスラームを信仰してからまず始めなければならないのはサラートです。ムスリムは、男も女も、若い人も年寄りも、金持ちも貧乏人も、忙しい人もひまな人もみな、一日五回のサラートが義務とされています。もちろん、ムスリムになりたての人はすぐには完壁にできないでしょう。それは仕方がありません。でも、少しずつ努力して、全てできるように頑張ってください。

サラートの言葉はアラビア語です。サラートに使う言葉だけはどうしても覚えてもらわなければなりません。最初はとっつきにくいでしょうが、これでサラートを覚えることによって、ムスリムは世界中どこに行っても同じ言葉、同じスタイルで他の国のムスリム兄弟たちと一緒にサラートができるのです。

アッラーがみなさんを助けてくださいますように。

まず 自宅で

A 各 サラートの呼び名と時刻

一日五回のサラートの名前は、次の通りです。

  1. サラートゥ・ル ・ファジュル (暁):地平線にぼっと曙光がさしてから、太陽が頭を出す前までの間に行ないます。
  2. サラートゥッ・ズフル (正午過ぎ):太陽が南中し、子午線を完全に通過した後から、アスルの始まりの時間までの間に行ないます。
  3. サラートゥ・ル・アスル (午後遅め):垂直に立てた棒の影が、正午時の影の長さプラス棒の長さにのびた時刻から、日没までの間に行ないます。
  4. 、 サラー トゥ ・ル ・マグリプ (日没直後):日没から、イシャーの始まる時間までの間に行ないます。
  5. サラートゥ・ル・イシャー (夜):夜の闇が完全に空を覆ってから、翠朝のファジュルの始まる時間までの間に行ないます。
ファルド前の
スンナ
ファルド ファルド後の
スンナ
ウィトル
1. ファジュル 2 2
2. ズフル 4 4 2
3. アスル (4) 4
4. マグリブ 3 2
5. イシャー (4) 4 2 3

表の数字はサラートの単位の回数です。ファルドのサラートは、ムスリムがやらなければならない最低限の義務のサラートのことです。ウィトルのサラートは、ファルドのつぎに重要です。スンナのサラートとは、預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)がいつも行なわれたサラートのことです。(カッコ)のなかのスンナは、預言者がやったりやらなかったりしたもので、ほかのスンナよりも重要度が低いものです。「‐」線は日の出日の入りにかかるおそれがあるので、サラートをやるべきでない時間です。

今日の礼拝時刻毎日サラートの時間を確認しよう

B サラート全体の流れ

タイトル
  • スタート
  • キヤーム(立つ)
  • ルクー(立礼)
  • 起き上がる
  • サジダ(ひれ伏)
  • 座る
  • サジダ
  • 立ち上がる
  • キヤーム
  • ルクー
  • 起き上がる
  • サジダ
  • 座る
  • サジダ
  • 座る
  • (2ラカートのサラート) 右と左にサラーム
  • キヤーム
  • ルクー
  • 起き上がる
  • サジダ
  • 座る
  • サジダ
  • 立ち上がる
  • (3ラカートのサラート) 座る
  • 右と左にサラーム
  • キヤーム
  • ルクー
  • 起き上がる
  • サジダ
  • 座る
  • サジダ
  • 座る
  • (4ラカートのサラート) 右と左にサラーム

C タハーラ

イステンジャー

サラートは日常で体を清潔にすることから始まります。糞尿や血、膿は自分自身のものも、また他人や動物のものも不浄であり、それらが衣服や身体に付いたままでサラートをすることはできません。またイスラームでは、酒類も不浄なものとしてみなされており、これらが身体や衣服についたままではサラートはできません。生活の中で気をつけなければならないのはトイレの中です。トイレの中での清めの作法をイステンジャーといいますが、これは重要なことです。

放尿や排便の後、水の容器ないしは水道のホースなどを右手で持ち、局部に水をかけながら左手を使ってよく洗います。その後、水分をとるために再びトイレットペーパーで拭いてもかまいません。服を直す前にもう一度確認し、尿が後から出てきて下着や身体を汚すことのないように気をつけます。もし汚してしまった場合、洗い清めなければなりません。水で洗ってから絞り、それを3回繰り返せば充分です。こうしてトイレをすませた後、手をよく洗います。

ウドゥー

ウドゥーとは、”清め”のことです。サラートをする前には、自分の身体を清めなくてはなりません。預言者ムハンマ ド (彼の上に祝福と平安あれ)は「清潔さは信仰の半分である」とおっしゃっています。 しかし、イスラームには単に汚いとか汚れたとかいうことの他に宗教的な意味の汚れがあります。これら目には見えない身体の汚れには二種類あり、サラートの前に清めなくてはいけません。

最初は「大きな汚れ」です。次のようなことがあった場合 「大きな汚れ」の状態になります。

  • 精液がもれた場合
  • 性交した場合
  • 生理があった場合
  • 女性が子供を産んだ後

「大きな汚れ」がある状態では、サラートをすることも、クルアーンに触れることも、マスジド (礼拝堂)の中に入ることもできません。 この場合には、ウドゥーだけでは清めは不十分です。グスル (全身沐浴)を行なわなければなりません。 (後述 「グスルのやり方」参照)

もうひとつは「小さな汚れ」です。小さな汚れは次の場合におきます。

  • 小便をした場合
  • 大便をした場合
  • おならをした場合
  • 吐いた場合
  • 血が流れるほどの量、出血した場合
  • 膿が出た場合
  • 眠った場合
  • 失神した場合

これらの場合には、サラートをしたりクルアーンに触れることはできません。また、一回ウドゥーをしても、上記のことがあった場合、ウドゥーは無効になってしまうので、やり直さなければなりません。 こういったことがなければ、一回のウドゥーで引き続きサラートできます。(注:くしゃみやあくび、しゃっくりやげっぷではウドゥーは無効になりません)

ウドゥーのやり方

ウドゥーのやり方

さて、ウドゥーのやり方です。まず、心の中でアッラーに対して 「ウドゥーを行ないます」と意志を表します。それから、口の中でそっと 「ビスミッラーヒ ラフマーニ ラヒーム 」と、言います。(意味:慈悲あまねく、慈悲深きアッラーの名において)

タイトル
  • 1
    そしてきれいな水で右手を手首まで3回洗います。同じようにして、左手を手首まで3回洗います。指輪をしている場合、指輪を着けたまま回して、指輪の下の皮膚が濡れるようにすれば充分です。
  • 2
    それから右手で水をすくい、口を3回ゆすぎます。 ミスワークとよばれる木の歯ブラシで、歯をよくみがきます。 ミスワークがなければ、右手の人差し指で歯をこすります。
  • 3
    それから右手で水をすくい、鼻を3回ゆすぎます。
  • 4
    それから両手で水をすくい、顔を3回洗います。額の生え際から顎の先までと左右の耳のつけ根までの範囲にきちんと水がかかるように洗います。髭のある人は髭の中まで洗います。
  • 5
    それから右手を肘まで3回洗います。右手に水をすくい、そのまま腕を傾けて、肘に向かって水を流すようにすると洗いやすいです。同様にして、こんどは左手を肘まで3回洗います。
  • 6
    両手を水で濡らし、その濡れた手の平で前から後に向かって頭をなでます。
  • 7
    そしてそのまま人差し指で耳の中を、親指で耳のうしろをなでます。最後に、左右の手の甲で、首のうしろをなでます。
  • 8
    つぎに、右足をくるぶしまで3回洗います。裏側まできちんと洗いましょう。 この時、水をかけるのに右手の助けを借り、左手を使って洗います。同様にして、左足をくるぶしまで3回洗います。

これでウドゥーは終わりです。

グスル

ウドゥーについて説明したとき、グスルのことに少し触れました。次のようなことがあった場合、宗教的に「見えない大きな汚れ」となり、そのままではサラートをしたり、クルアーンに触れたりすることはできません。

  • 精液がもれる
  • 性交する
  • 生理がある
  • 出産する

そこで、それを清めるために入浴をする必要があります。その入浴をグスルといいます。

グスルのやり方
タイトル
  • 1
    心の中で 「グスルをします」と意志表示をします。
  • 2
    両手を洗います。
  • 3
    陰部など、汚れた部分を洗います。
  • 4
    ウドゥーをひととおり行ないます。
  • 5
    水を(あるいはお湯を)頭から三回かけます。
  • 6
    水を右肩に三回かけます。
  • 7
    水を左肩に三回かけます。
  • 8
    口と鼻の穴をすすぎます。
  • 9
    髪の毛のつけ根から足の指の間まで、全身をまんべんなく洗います。

イスラームでは、川などの大量の水の場合を除き、一度汚れた身体に触れた水は汚水としてみなします。ですから、人が一度入ったお風呂の水でウドゥーをしたり、グスルをすることはできません。そこで、グスルのときはシャワーか、人がまだつかっていない風呂おけの水をすくってかけるのが適当です。お風呂につかる習慣のある人はお風呂の後、シャワーを使ってもう一度さっと全身を洗い、グスルをすれば良いでしょう。

グスルはウドゥーをも兼ねますから、グスルを行なった直後はウドゥーをやり直す必要はありません。ちなみにグスルでは、口と鼻の中を洗うのは要件のひとつですから、必ず行なうようにしてください。

D アザーン

ムスリムの国へ行くと、遠くから歌のような音が響いてきます。これが”アザーン”で す。アザーンはサラートの時刻を皆に報せて、サラートに来るように呼びかけるためのものです。しかし、家で自分ひとりしかいない場合でも行なった方がよいです。ただし、女性はアザーンをしません。

まず、少し高い場所にマッカの方向を向いて立ちます。それから、両手の人差し指を耳の穴へ入れます。そして、ボリュームをあげておごそかに、こう唱えます。音の高低やのばし方には国や人によって独特のスタイルがあり、決まっていません。

アッラーフアクバル ア ッラーフアクバル

アッラーフアクバル ア ッラーフアクバル

(意味:アッラーは偉大なり、アッラーは偉大なり)

アシュハドゥ アンラー イラーハ イッラッラー

アシュハドゥ アンラー イラーハ イッラッラー

(意味:私はアッラーの他に崇拝に値するものがないことを証言する)

アシュハドゥアンナ ムハンマダンラスールッラー

アシュハドゥアンナ ムハンマダンラスールッラー

(意味:私はムハンマドがアッラーの使いであることを証言する)

ハイヤー アラッサラー

ハイヤー アラッサラー

(意味:サラートに来なさい) この時、右を向く

ハイヤー アラルファラーハ

ハイヤー アラルファラーハ

(意味:成功に来なさい)この時、左を向く

ファジュル (暁の礼拝)に限り、「ハイヤー アラルファラーハ」の後に次の言葉を唱えます。

アッサラートゥ ハイルン ミナン ナウム

アッサラートゥ ハイルン ミナン ナウム

(注:サラートは眠りより良い)

アッラーフアクパル アッラーフアクパル

(意味:アッラーは偉大なり、アッラーは偉大なり)

ラー イラーハ イッラッラー

(意味:アッラーのほかに崇拝に値するものはない)

E イカーマ

“イカーマ”とは、マスジドの中の人々全員に「これからサラートが始まります」ということを知らせるためのアナウンスで、サラートの直前に唱えます。イカーマが始まるとムスリムたちはサラートのために立ち上がって整列します。

(整列の仕方。後述「イマームとそのうしろ」参照)

自宅などで自分ひとりしかいない場合でも、イカーマはした方がよいです。唱える言葉はアザーンとほぼ同じですが、「ハイヤー アラルファラーハ」の後に「カドゥカーマティッサラー、カドゥカーマティッサラー (意味 :サラートは、今まさに始まります)という言葉が入ります。アザーンよりは小さい声で、でもはっきりと周りに聞こえる声で、早ロで伸ばさずに唱えます。

アッラーフアクパル アッラーフアクパル × 2
アシュハドゥ アンラー イラーハ イッラッラー × 2
アシュハドゥ アンナ ムハンマダン ラスールッラー × 2.
ハイヤー アラッサラー × 2
ハイヤー アラルファラーハ × 2
カドゥカーマティッサラー × 2
アッラーフアクバル アッラーフアクパル
ラー イラーハ イッラッラー
(注 :ファジュルのサラートでも、イカーマの時は 「アッサラートゥ ハ イルン ミナン ナウム」は唱えません)

F サラートのやり方

ウドゥーを済ませた後、清浄な服を着てマッカの方角を向き、清浄な場所に静かに立ちます。男性は最低限へそからひざまで、女性は顔と手首から先を除いた全身を衣服で覆います。マッカは日本からは大体西北西の方角になります。そして心の中で「アッラーをたたえて、なになにのサラートをなんラカー トささげます」とニーヤ (意図)します。(前述「サラートの呼び名」参照)

このニーヤは何語でもかまいません。このとき両足は間を少し開け、顔をまっすぐマッカの方角に向け、背筋を伸ばして雑念をはらい、集中します。サラートの途中でやめたり、ものを食べたり、話したりすれば、そのサラートは無効になります。

そして、両手の平を正面に向けて耳の高さまであげ、目は正面を見、声をはっきりと出して、「アッラーフ アクバル (意味 :アッラーは偉大なり)と言います。 そしてただちに両手を自分のへその上あたりで組みます。手の組み方は、左手の指をそろえてのばし、右手をその上に乗せます。この姿勢をキヤームと言います。このとき、視線は自分がサジダした時に頭がつくあたりにとめ、きょろきょろあちこちを見ないようにします。

キヤーム

心の中も、アッラーの事だけを念じるように努力します。

それから、口のなかでつぶやくように小さい声でこう唱えます。
(注:まだ言葉をおぼえていない人は、サラートの始めから終わりまで 「スブハーナッラー(意 味 :アッラーは完壁だ)と繰り返します)

スブハーナカッラーフンマ ワビハムディカ ワタバーラカヌスムカ
ワタアーラージャッドゥドゥカ ワラーイラハ ガイルカ

(意味 :アッラーよ !あなたは神聖であり、私たちはあなたをたたえます。あなたの名は祝福されています。あなたの停大さは最高であり、あなたをさしおいて崇拝に値するものはありません)

それから口の中で、こうつぶやきます。

アウーズビッラーヒ ミナッシャイターニ ラジーム

(意味:いまわしい悪魔に対し、アッラーの守護をねがいます)

*ここでは口の中でつぶやくように唱える言葉は斜体で表します。

そして、今度ははっきりと声を出してクルアーンの開端章を唱えますが、第1節目だけは口のなかで読みます。

(注:ズフルとアスルのサラート (前述「サラートの呼び名」参照)では、クルアーンはすべて口の中だけで唱えます)

ビスミッラーヒッラフマーニッラヒーム

アルハムドゥリッラーヒ ラッビルアーラミーン

アッラフマーニッラヒーム

マーリキ ヤウミッディーン

イイヤーカナアプドゥ ワイイヤーカナスタイーン

イヒディナッスィラータル ムスタキーム

スィラータッラディーナ アンアムタ アライヒム

ガイリル マグドゥービ アライヒム

ワラッダーッリーン

アーミーン

(開端章〔アル・ファーティハ〕の意味)

  1. 慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
  2. 万有の主、アッラーにこそ凡ての称讃あれ、
  3. 慈悲あまねく慈愛深き御方、
  4. 最後の審きの日の主宰者に。
  5. 私たちはあなたにのみ崇め仕え、あなたにのみ御助けを請い願う。
  6. 私たちを正しい道に導きたまえ、
  7. あなたが御恵みを下された人々の道に、あなたの怒りを受けし者、また踏み迷える人々の道ではなく
  8. アーミーン

    それからまた口の中でこう唱えます。

    ビスミッラーヒ ラフマーニ ラヒーム

    それから、はっきりと声を出して、自分にとって易しいクルアーンの一章、もしくは数節を唱えます。

    (注:ズフルとアスルのサラート (「サラートの呼び名」参照)では、クルアーンは口の中だけで唱えます)

    ルクーの姿勢

    クルアーンを唱え終わったら、「アッラーフ アクバル」と唱えながらただちに腰を曲げて、前方にむかって礼をします。 このとき、背筋はまっすぐに伸ばし、頭から背中、腰までがちょうどテーブルのように平らになるようにします。足もまっすぐ伸ば し、両手の指を開いて膝をつかみます。視線は両足の親指の間あたりに定めます。 この姿勢をルクーと言います。

    その姿勢のまま口の中でこうつぶやきます。

    スブハーナ ラッビヤル アジーム x 3

    (意味:尊厳なる主にたたえあれ)

    それから、身体を起こしながら、はっきりと声を出してこういいます。

    サミアッラーフ リマン ハミダ

    (意味:アッラーはたたえる者を聞いておられる)

    手を垂らして直立したまま、続いて声を出してこう言います。

    ラッパナー ワラカルハムドゥ

    (意味:私たちの主よ!あなたにこそたたえあれ)

    それから、「アッラーフ アクバル」と声を出しながら、サジダする姿勢に移っていきます。サジダはまず膝をつき、両手を置いてから、鼻、額の順序でゆっくりとつけます。この時、視線は自分の鼻に、両手の指はそろえてまっすぐ伸ばし、手の平は耳のすぐわきに置きます。ひじは地面から上げ、おなかの下に仔やぎ(の赤ちゃん)が立って歩けるくらいのすき間をあけます。足はつま先を立て、かかとをあげます。この姿勢をサジダといいます。そして、その姿勢のまま口のなかでこう唱えます。

    スブハーナ ラッビヤル アアラー × 3

    (意味:至高の主にたたえあれ)

    サジダの姿勢

    それから、声を出して「アッラーフ アクバル」と唱えながら、体を起こして座ります。そのとき、両手は自然にももの上に置き、背筋はまっすぐに伸ばし、視線は膝のあたりに定めます。

    ひと呼吸おいて再び声を出して、「アッラーフアクバル」と唱えながらもう一度サジダし、口の中で 「ヌブハーナ ラッビヤル アアラー」と3回唱えます。

    そして今度は、声を出して、「アッラーフ アクバル」と唱えながら立ち上がります。これで 1ラカート目が終わりです。

    さて、キヤームの姿勢にもどりました。ここからは 2ラカート目です。先ほどのようにへその上あたりで両手を組んで、背をまっすぐ伸ばし、視線を下げます。そして今度は、最初の言葉はとばして、『開端章』の読誦からサジダまでを1ラカート目と同じように繰り返します。

    キヤーム : 『開端章』とクルアーンの別の章を読む
    ルクーしながら : アッラーフ アクバル
    ルクーで : スブハーナ ラッビヤル アズィーム×3回
    起き上がりながら : サミアッラーフ リマン ハミダ
    起き上がって : ラッバナー ワラカルハムドゥ
    サジダしながら : アッラーフ アクバル
    サジダで : スブハーナ ラッビヤル アアラー× 3回
    座りながら : アッラーフ アクバル
    ひと呼吸またサジダに移りながら : アッラーフ アクバル
    サジダで : スブハーナ ラッビヤル アアラー× 3回

    さて、2ラカート目のサジダから、今度は 「アッラーフ アクバル」と唱えながら立ち上がらずに、そのまま座ります。

    それから次のような言葉を口の中で唱えます。

    アッタヒーヤートゥ リッラーヒ

    ワッサラートゥ ワッタイイバートゥ

    アッサラーム アライカ アイユハン ナビーユ

    ワラフマトゥラーヒ ワバラカートゥフ

    アッサラーム アライナー ワアラー

    イバーディッラーヒッサーリヒーン

    アシュハドゥ アンラー イラーハ イッラッラーフ

    ワシュハドゥ アンナ ムハンダン

    アブドゥフ ワラスールフ

    (意味:あらゆるあいさつと、祈りと、良いものは、アッラー、あなたのためにあります。預言者よ、あなたに平安と、アッラーの慈悲、アッラーの恵みがありますように。私たちとアッラーに忠実なすべてのしもべたちに平安あれ。私はアッラーの他に崇拝に値するものがない事を証言します。そして私はムハンマドがアッラーのしもべであり、使徒である事を証言します)

    上の言葉の中で、「アシュハドゥ アンラー イラーハ」と唱える時に、右手の人差し指をまっすぐ前につき出し、アッラーが唯一であることを表し、次の「イッラッラーフ」と唱える時には、その指をそのまま下げます。

    さて、これでサラートの単位である2ラカートが終わりました。 1ラカートはルクー1回とサジダ2回です。サラートは通常、最低2ラカートやって終わります。

    そこで、2ラカートで終了する場合は、このまま下へ、3ラカートもしくは4ラカート続ける場合は、後述「3ラカートと4ラカート」ヘ進んで下さい。

    終えるまえに、座ったまま次の言葉を口のなかで唱え、預言者の祝福を祈ります。

    アッラーフンマ サッリ アラー ムハンマディン

    ワアラー アーリ ムハンマディン

    カマー サッライタ アラ イブラーヒーマ

    ワアラー アーリ イブラーヒーマ

    インナカ ハミードゥン マジード

    (意味:アッラーよ。ムハンマドとその子孫を祝福してください。あなたがイプラーヒームとその子孫を祝福したように。真に、あなたは賞賛すべきお方、最も高貴なお方です)

    アッラーフンマ バークリ アラー ムハンマディン

    ワアラー アーリ ムハンマディン

    カマー バーラクタ アラー イブラーヒーマ

    ワアラー アーリ イブラーヒーマ

    インナカ ハミードゥン マジード

    (意味:アッラーよ。ムハンマドとその子孫にあなたの恵みをお与えください。あなたがイブラーヒームとその子孫に恵みを与えられたように。真にあなたは賞賛すべきお方、最も高貴なお方です)

    それからこう祈ります。

    ラッバナー アーティナー

    フィドゥニヤー ハサナ

    ワフィルアーヒラティ ハサナ

    ワキナー アザーバンナール

    (意味:私たちの主よ。現世でも良いものをお与えになり。来世でも良いものをお与えください。そして炎の罰から私たちをお守りください)

    そして、最後に右をむいて声を出し、

    アッサラーム アライクム ワラフマトゥッラー

    (意味:あなたたちに平安とアッラーの慈悲がありますように)

    と言い、さらに、左をむいて

    アッサラーム アライクム ワラフマトゥッラー

    と言います。これで、サラートは終わりです。

    サラートは終わり

    サラートの終わったあと、そこで座ったまま、アッラーをくり返し讃えるズィクルをすることが勧められています。これは義務ではありませんが、やればそれだけ報奨があります。声は高くても低くてもかまいません。

    スバハーナッラー と33回となえます。

    (意味:アッラーは完全だ)

    それから、アルハムドゥリッラー と33回となえます。

    (意味:アッラーに讃えあれ)

    さいごに、アッラーフアクバル と34回となえます。

    (意味 :アッラーは偉大なり)

    手の指を使って数えるのが、預言者ムハンマド (彼の上に祝福と平安あれ)の習慣でした。

    それから、アッラーヘ自分の個人的な願いを自分の言葉でします。アッラーはあらゆる人の言葉を、それが何語であっても、どこにいても聞いておられますから、悪いことでないかぎり、現世のことも来世のことも、自分なりに望むことを願えばよいのです。 この祈りのことをドゥアーといいます。

    3ラカートと4ラカート

    2ラカートが終わって、その先を続けるときはここに進みます。言葉と動作は1、2ラカートの時とほとんど同じです。

    2ラカート目の終わりに 「ワシュハドゥ アンナ ムハンダン アブドゥフ ワラスールフ」と唱えおわってから、すぐに 「アッラーフ アクバル」と言って立ち上がります。

    3ラカート目

    手を組んだキヤームの姿勢にもどります。それから、今度は口の中でクルアーンの 『開端章』を唱えます。

    重要* 3、4ラカートでは、『開端章』の後に別の章は唱えません。

    そして 1、2ラカート目と同じようにルクーとサジダをします。

    ルクーしながら   アッラーフ アクバル
    ルクーで   ヌブハーナ ラッビヤル アズィーム x 3回
    起き上がりながら   サミアッラーフ リマン ハミダ
    起き上がって   ラッパナー ワラカルハムドゥ
    サジダしながら   アッラーフ アクバル
    サジダで   スブハーナ ラッビヤル アアラー x 3回
    座りながら   アッラーフ アクバル
    ひと呼吸またサジダに移りながら   アッラーフ アクバル
    サジダで   スブハーナ ラッビヤル アアラー x 3回

    再び声を出してアッラーフアクバルと唱えますが、3ラカートで終わる場合はそのまま座ります。そして前述の「アッタヒーヤートゥ リッラーヒ…」と 「アッラーフンマ サッリ…」を読み、サラートを終了します。

    もし、4ラカートに進む場合は、そのまま立ち上がります。

    4ラカート目

    そして、また同じように『開端章』からサジダまで繰り返します。

    キヤーム   『開端章』を読む
    ルクーしながら   アッラーフ アクバル
    ルクーで   スブハーナ ラッビヤル アズィーム x 3回
    起き上がりながら   サミアッラーフ リマン ハミダ
    起き上がって   ラッパナー ワラカルハムドゥ
    サジダしながら   アッラーフ アクバル
    サジダで   スブハーナ ラッビヤル アアラー x 3回
    座りながら   アッラーフ アクバル
    ひと呼吸またサジダに移りながら   アッラーフ アクバル
    サジダで   スブハーナ ラッビヤル アアラー x 3回

    最後に、再び「アッラーフアクバル」と唱えて座る姿勢になります。そして前述の「アッタヒーヤートゥ リッラーヒ…」と 「アッラーフンマ サッリ…」を読み、サラートを終了します。

    G スンナとナフルのサラート

    いままで説明したのは義務のサラートで、義務のことをアラビア語でファルドと言います。サラートは一日五回のファルドを行なえば一応十分です。けれども、イスラームの考え方としては、できるだけ少なくやって楽をしようというのではなく、良いことならば積極的にやろうという考え方なので、もし難しくなければ、義務でないサラートもやった方がよいです。

    預言者ムハンマド (彼の上に祝福と平安あれ)の行ないのことをスンナと言います。そこでスンナのサラートとは、預言者 (彼の上に祝福と平安あれ)が義務のほかにやっておられたサラートのことを指します。

    また、まったく自発的に行なうサラートのことをナフルのサラートといいます。ナフルとは、アラビア語で任意のことです。これはいつでも好きなだけやることができます。(注:ただし、日の出と日没の際に太陽が地平線にかかっている間と、太陽の南中時はサラートをしてはいけない時間になっています。)

    ナフルのサラートは基本的に2ラカートずつです。そこで例えばナフルのサラートを4ラカートといえば、2ラカー卜ごとに終了して行ないます。

    人々が寝静まった深夜、一人起きあがって行なうサラートには非常に大きな報奨があると言われています。そのようなナフルのサラートのことをタハッジュドといいます。

    スンナとナフルのサラートのやり方

    スンナもナフルもやり方はファルドのサラートとほとんど同じです。ただ、少しだけ違うところがあります。

    最初はニーヤ (意思表示)です。「スンナ (あるいはナフル)のサラートをします」と意図します。そして、スンナもナフルも全ての言葉を口の中だけで唱えます。それから、いくつかの場合を除いて、スンナもナフルも自分ひとりで行ないます。それに対し、ファルドのサラートは原則として (もちろんできなければかまいませんが)マスジドでほかの人たちと一緒にやるものです。ただし、女性はマスジドヘ行く義務はありません。

    H ウィトルのサラート

    ー日のしめくくりに行なう3ラカートのサラートを「ウィトル」のサラートと言います。これは、義務ほど重要ではありませんが、スンナよりも重要なものです。

    ウィトルのサラートはスンナやナフルのサラートのように、言葉はすべて口の中でつぶやくように唱えます。

    また、スンナやナフルのサラートのように、それぞれのラカートで 『開端章』を唱えた後にもうひとつ別のクルアーンの章を唱えます。

    ウィトルのサラートのやり方は次の通りです。
    ウィトルのサラートをするという意思表示をします。
    普通にスンナやナフルのサラートのようにサラートを進めます。
    3ラカート目まで来て、クルアーンの 『開端章』ともうひとつ別の章を読み終わった時、ルクーに入る前に両手を耳の高さまで上げて「アッラーフ アクバル」と言います。
    それから元のように前で手を組んでから ドゥアークヌートと呼ばれる次の祈りを唱えます。

    アッラーフンマ インナー ナスタイーヌカ

    ワナスタフディーカ ワナスタグフィルカ

    ワヌッミヌビカ ワナタワッカル アライカ

    ワヌスリー アライカルハイラクッラ

    ナシュクルカ ワラーナクフルカ

    ワナフラウ ワナトゥルク マンヤフジュルカ

    アッラーフンマ イイヤーカ ナアブドゥ

    ワラカ ヌサッリー ワナスジュドゥ

    ワライカ ナスアー ワナフフィドゥ

    ナルジューラフマタカ ワナフシャー

    アザーバカ

    インナ アザーバカ アルジッダ

    ビルクッファーリ ムルハク

    (意味:アッラーよ。私たちは本当にあなたの助けとあなたの導きとあなたの許しを求め、あなたを信じ、あなたに頼ります。あなたを賞讃し、あなたに感謝し、あなたに背きません。そしてあなたに不服従な者と離れ、つき合いを絶ちます。アッラーよ。私たちはあなたのみを崇め、あなたに対してのみサラートを捧げます。そしてあなたにサジダし、あなたのもとに参ります。そしてあなたの慈悲を願い、あなたの罰を恐れます。まことに、あなたの罰は不信者のすぐそばにせまっています)

    この祈りが終わってから、「アッラーフアクバル」と唱えてルクーに入り、あとは他のサラー卜と同じように終えます。

    預言者ムハンマ ド (彼の上に祝福 と平安あれ)は 、ほとんど毎晩タハッジュドという深夜のサラートを行なっていました。そしてそのしめくくりにウィトルのサラートをしました。そこで、自分が深夜礼拝に起きる自信のある人はウィトルのサラートをしないでとっておきます。 しかしその自信のない人は、イシャーの後に済ませてしまった方がいいでしょう。

    I 女性がサラートを免除されるとき

    女性は次の場合にはサラートをしません。

    1. 生理の時:ただし、体質的に出血がいつまでも止まらない女性の場合は病気による出血とみなし、生理期間が過ぎたらまだ出血があってもグスルをし、通常どおりサラートを始めます。
    2. 出産後の出血が続いている期間:これも40日間を限度とし、期日が過ぎればグスルをし、ふだんの生活を始めます。

    これらの免除されたサラートは、やらなかったサラー卜などと異なり、後でやり直す必要はありません

    育児や家事で忙しいなどはサラート免除の理由になりません。アッラーが私たちに忍耐を与え、物事を易しくしてくださいますように。

    モスクヘ行く

    A ジュムア (金曜日)のサラート

    金曜日はムスリムたちの祝日です。その日、ムスリムはグスルをし、一番よい服を着て町の大きなマスジドに集まり、ジュムアのサラートをします。導師の説教が行なわれ、その後、皆で一緒にサラートします。ジュムアはズフルと同じ時間に行なわれ、ズフルの代わりになります。

    ジュムアは最低4人いないとできません。そこでジュムアに参加できなかった人は、各自でズフルのサラートをおこないます。

    下の表はジュムアのラカートの回数です。

    ジュムア (金曜礼拝)のラカート数

    サラートの前のスンナ ジュムアのサラート サラートの後のスンナ
    4 2 4そして2

    B ジャマア (集団)のサラート

    イマームとその後ろ

    サラートは基本的に集団でおこなうものです。近くにマスジドがあればマスジドで、なくてもなるべく二人以上で集団を作ってやった方が、より多くの報奨があります。集団礼拝は個人の礼拝の27倍優れていると言われています。

    集団のサラートには、先頭に立ってサラートを率いる役目の人がいます。この人のことをイマームといいます。イマームはその集団のなかで一番クルアーンを知っている人、宗教の知識がある人、それから年長者などがなります。

    並び方

    二人でサラートするときはイマームの右側にもうひとりが並びます。 3人以上の場合、サジダするだけの距離をとってイマームの後に横一列に並びます。列はまっすぐに、お互いの肩と肩がふれあうぐらいくっついて並びます。

    夫婦で一緒にサラートする場合、夫がイマームになり、妻はその後ろに立ちます。

    イマームとそれ以外の人との違い

    集団礼拝で、声を出すのはイマームだけです。イマームの声に合わせて、後ろの人々はサラートの動作をします。イマームより先に動いてはいけません。そこでイマームの唱える言葉と、後ろの人の唱える言葉を分けて書いてみました。

    イマーム 後ろの人々
    一人がイカーマを唱えたら集まってきて並ぶ
    みんなが並んでいるのを確かめる
    「イマームとして、なになにのサラートをなんラカートささげます」という意志を心の中で唱えます。 「イマームの後ろで、なになにのサラートをなんラカートささげます」という意志を心の中で唱えます。
    立ったまま アッラーフアクバル
    (と声を出す)
    アッラーフアクバル
    スブハーナカッラーフンマ ワビハムディカ
    ワタバーラカスムカ ワタアーラージャドゥカ
    ワラーイラーハガイルカ
    アウーズビッラーヒミナッシャイターニラジーム
    クルアーンの『開端章』を声に出して読む
    ビスミッラーヒラフマーニラヒーム
    アルハムドゥリッラーヒ
    ラッビルアーラミーン
    ~~ 中 略 ~ ~
    ガイリルマグドゥービアライヒム
    ワラッダーーッリーン
    ただ聞く
    アーミーン
    クルアーンの別の章を読む ただ聞く
    ルクーヘ
    アッラーフアクバル
    アッラーフアクバル
    スブハーナラビヤルアズィーム
    スブハーナラビヤルアズィーム
    スブハーナラビヤルアズィーム
    起き上がる
    サミアッラーフリマンハミダ
    ラッパナー ワラカルハムドゥ
    サジダヘ
    アッラーフアクバル
    アッラーフアクバル
    スブハーナラビヤルアアラー
    スブハーナラビヤルアアラー
    スブハーナラビヤルアアラー
    起き上がって座る
    アッラーフアクパル
    アッラーフアクバル
    二回目のサジダヘ
    アッラーフアクパル
    アッラーフアクバル
    スブハーナラビヤルアアラー
    スブハーナラビヤルアアラー
    スブハーナラビヤルアアラー
    立つ(あるいは座る)
    アッラーフアクバル
    アッラーフアクバル
    以降、同様に行なう
    ~~ 中 略 ~~
    最後に
    アッタヒーヤートゥリッラーヒ ワッサラワートゥ ワッタイイバートゥ
    アッサラームアライカ アイユハンナビーユ ワラフマトゥッラーヒ

    ワバラカートゥフ
    アライナー ワラー イバーディッラーヒ サーリヒーン アシュハド アンラー イラーハ イッラッラーフ
    ワアシュハド アンナ ムハンマダン アブドフ ワラスールフ
    アッラーフンマ サッリ アラー ムハンマディン ワアラー アーリ ムハンマディン カマー サッライタ アラー イブラヒーマ ワアラー アーリ イブラヒーマ インナカ ハミ-ドゥン マジードゥ
    アッラーフンマ バーリク アラー ムハンマディン ワアラー アーリ ムハンマディン マカー バーラクタ アラー イブラヒーマ ワアラー アーリ イブラヒーマ インナカ ハミードゥン マジードゥ

    ラッバナー アーティナー フィドゥンヤー ハサナ ワフィル
    アーヒラティ ハサナ ワキナー アザーバンナール

    右をむき
    アッサラームアライクム
    ワラフマトッラー
    アッサラームアライクム
    ワラフマトッラー
    左をむき
    アッサラームアライクム
    ワラフマトッラー
    アッサラームアライクム
    ワラフマトッラー

    この表でお分かりのように、イマームが 『開端章』を唱えて 「ワラッダーッリーン」と言うと、それに応えるようにして後ろの人々は 「アーミーン」といいます。

    それから、ルクーから起き上がる時にイマームが 「サミアッラーフ リマン ハミダ」と 言うのに対し、起き上がった人々は 「ラッバナー ワラカルハムドゥ」と、これも呼びかけに応えるようにして唱えます。

    しかし、後ろの人々は最初から最後まで無言で、これらの言葉はすべて口の中でつぶやくようにして唱えるのです。

    このように声を出してサラートするのは、基本的にイマームが後の人々の動作に号令をかける必要のあるときです。ですから後に並ぶ人やイマームにはならない女性は声を出さずにサラートします。しかし男性が単独で義務のサラートを行なう場合は、自分がイマームになったとみなしてイマームの唱えるべき言葉と後に並ぶ人の言葉を全て唱えます。

    こんなときどうする

    A 水がない場合~タヤンムム

    生活の中では、ウドゥーやグスルのための水がどうしても手に入らないことがあります。そういった場合、清潔な砂や自然の石などを用いて清めを行なうことができます。そういう清めのやり方をタヤンムムといいます。

    タヤンムムをするにはある種の条件があります。それは他に方法がなく、やむを得ないということです。例えば

    • 身近な所に水が得られない。何キロも離れた所に水があって、容易に持って来られない。
    • 水は近くにあるのだが、そこになんらかの危険 (例えば、水道の前に危険な野犬がいるなど)があって、そこにどうしても近付くことができない。
    • 皮膚病などで、医者に水の使用を禁じられている。
    • 山岳地帯などで、水は持っているのだが、それは飲料水として重要なので使うわけにはいかない。
    • 風邪をひいて熱がでているが、冷たい水しか手に入らない。もし冷たい水を使えば、確実に病気が悪化する。
    • 病気で身動きのできないような状態である。
    • 水は売っているものの、こちらの弱みにつけこむような法外な値段である。
    • 長距離の列車に乗っており、降りることもできなければ、水を手に入れる事もできない。サラートの時刻は刻々と終わりに近付いている。

    これらの場合には、タヤンムムをしてもよいとされています。けれども、ただ単に水のある所まで行くのが面倒臭いとか、冷たいのがいやだとかは理由になりません。もし水がなくてタヤンムムをした後でも、サラートの直前に水が手に入ったような場合、その瞬間にタヤンムムは無効になりますから、ウドゥ―をやり直さなければなりません。 しかしタヤンムムで行なったサラートが終わった後に水が手に入っても、そのサラートをやり直す必要はありません。

    タヤンムムをするためには、清潔な土や砂、石灰、磨いていない石の置物、レンガ、粘土、陶器、あるいは自然の石、清浄な砂、漆喰の壁などを用います。使えるのは土の性質を備える天然自然のもので、熱によって灰にならないものです。例えば鉄や銅、布や灰、ガラスやプラスチック、木や紙などは燃やすと融けたり灰になったりしてしまうので、これらでタヤンムムを行なうことはできません。 しかし、これらのものの上に充分な砂ぼこりが乗っていた場合、その砂ぼこりを使ってタヤンムムを行なうことができます。

    タヤンムムをするには、まずニーヤ (意思表示)が必要です。サラートのためかクルアーン読唱のためか、何の清めの代わりにタヤンムムをするのかをはっきりさせます。タヤンムムはウドゥーの代わりにもグスルの代わりにもなりますから、それに応じたニーヤが必要なのです。またその有効期限はウドゥーと同じで、ウドゥーを壊す原因となるようなことが起きない限り、 1回のタヤンムムで何回でもサラートできます。ただし、クルアーンに触れるために行なったタヤンムムで、サラートを行なうことはできません。

    タヤンムムのやり方

    1. まず意思表示をします。例えば心の中で、「ファジュルのサラートをするために、グスルの代わりにタヤンムムをします」と意図します。
    2. 両手の平で石か砂に触れます。そして余分な砂を払います。
    3. 両手のひらを自分の顔に向け、顔のウドゥーの時に洗うのと同じ部分にまんべんなく砂ぼこりがつくように1回、顔をなでます。
    4. そしてもう一度両手で石または砂に触れ、そして余分な砂ばこりを払い、今度は左手で、右手をひじまでなでます。
    5. 次に右手で、左手をひじまでなでます。最後に、両手の指を交差させ、指と指の間にも砂ぼこりがつくようにして終わりです。あごひげがある人は、あごひげにも指を通します。

    タヤンムムでは頭や足は清める必要はありません。 ウドゥーで清める顔と腕の部分にまんべんなく砂ばこりがつけば、それでじゅうぶんです。また石を用いた場合、砂ばこりがじゅうぶんないことがありますが、それもまったくかまいません。

    タヤンムムは、タヤンムムを行なわなければならなかった条件が続く限り有効です。ウドゥーが壊れるのと同じ条件で、タヤンムムも壊れます。

    B サラートをまちがえたとき

    サラートの中には、それなくしてはサラートが成り立たない重要なことがあります。それらは次のとおりです。

    1. ニーヤ (意図)
    2. 最初に両手を耳の高さまでかかげ 「アッラーフ アクバル」と唱えること
    3. 立った姿勢で数秒とどまること
    4. クルアーンの開端章を読むこと (注:まだ覚えていない人は構いません)
    5. ルクー
    6. 二回のサジダ
    7. 最後にしばらく座った姿勢でいること
    8. サラーム
    9. これらを順序正しく行なうこと

    これらのどれかを忘れると、サラートは無効でやり直しです。これら以外のことを忘れたり、順序を間違えたり、抜かしたり、遅れたり、多くやりすぎたりしてしまった場合、やりなおしをせずに訂正することができます。

    実際にサラート中、ラカートの回数を忘れて しまった場合を追いながら、この訂正のやり方を見てみましょう。

    ラカートの回数を忘れた

    預言者ムハンマド (彼の上に祝福と平安あれ)のお言葉にこういった意味のものがあります。「アザーンの声が聞こえると、悪魔は自分の耳に指をつつこんで後ろをむくと放屁をし、アザーンが聞こえない所まで一目散に逃げてゆく。ところがサラートが始まると戻ってきてサラートをしている人々の心に 「あれを思い出せ。これを思い出せ」とささやき、それでサラートしている人は自分のサラートの回数を忘れてしまう」

    本当に悪魔は人間にとってしつこい敵です。それでは、サラートの途中でラカートの回数を忘れてしまった場合、どうすればよいのでしょう。

    さて、例えば私はズフルの4ラカートのサラートをしていました。 2ラカート目あたりまでは確かに覚えていたのですが、はっと気がつくと今自分が3ラカート目か4ラカート目かわからなくなっていました。

    この時、自分が確実にやった少ない方の3ラカートだろうと仮定し、そのままサラートを続けます。

    4ラカート目 (もしかしたら5ラカート目かもしれないが)をやります。ラカートの回数が少な過ぎる場合、そのサラートは無効になります。ですから、分からなくなったときは、常に多めにやることです。

    座って、「アッターヒヤートゥリッラーヒ 」を唱えます。

    「……アシュハドゥ  アンラー イーラッラーフ 、ワアシュハドゥ アンナ ムハンマダン アブドゥフ ワラスールフ」を唱え終わったところで右をむいて 「アッサラームアライクム ワラフマトッラー」と言います。そのまま正面をむいて「アッラーフ アクバル」と唱え、サジダします。

    「スブハーナ ヤッビヤル アフラー」と3回唱えます。最後に、「アッラーフ アクバル」と唱えて座ります。もう一度、「アッターヒヤートゥリッラーヒ」を唱えます。

    そのまま最後まで、普通のサラー トのように言葉を唱え、最後は左右のサラームで終わります。

    このように、間違いを訂正するためには、最後に「アッサラームアライクム ワラフマ トッラー」を一つとサジダを二っ余分に付け足せばよいのです。

    他の細かい間違いもみんな同じやり方で訂正できます。どんなサラートにも同じやり方で使えます。また、同じサラートの中で2回以上間違えても1回の訂正で済みます。

    この訂正のためのサジダをサジダ・サハウといいます。

    C サラートの時刻を過ぎてしまったとき

    サラートをやらないうちにそのサラートの時刻が過ぎてしまった場合、なるべく早くそのサラートをやらなくてはいけません。このように遅れて行なうことを、カダーといいます。

    例えば寝坊してファジュルのサラートに遅れてしまった場合、いそいでウドゥーをし、遅れた分のサラートをやります。

    そのときの意志は「アッラーをたたえて、今朝の (あるいは何月何日の)ファジュルのサラートを、カダーで行ないます」のようにします。

    基本的には、スンナおよびナフルのサラートにはカダーはありません。

    D 集団礼拝に遅れてしまったとき

    集団礼拝にやって来たとき、もしすでにサラートが始まっていた場合、次のようにします。

    1. 列に空きがあれば列に並び、なければその後ろに並びます。
    2. おちついて 「サラートの意志表示」を心の中でします。
    3. 両手をあげて 「アッラーフ アクバル」と唱え、手を組みます。
    4. そのまま皆の動作に参加します。みながルクーをしていればルクー、サジダしていればサジダ、座っていれば座ります。
    5. そのまま最後まで一緒に行ない、イマームが「アッサラームアライクム ワラフマトッラー」と唱えた時点で、もしラカートの回数が足りていればそのまま皆と一緒に終わります。

      どのラカートに間に合ったかは、皆の動作に参加したとき、ルクーに間に合ったかどうかで判断します。もしルクーに間に合っていれば、その回のラカートは有効です。しかしルクーに間に合わなければ、そのラカートは数えません。

    6. イマームが 「アッサラームアライクム ワラフマトッラー」と唱えた時点で、もしラカートの回数が足りていなかった場合、ほかの人たちが右を向いているときも自分一人は正面を向いたままでいます。

      そしてイマームがもう一度 「アッサラームアライクム ワラフマトッラー」と言って左を向いたときに一人で立ち上がり、足りなかった分のラカートを行ないます。その時、「スプハーナカッラーフンマ……」および 「アウーズビッラーヒ……」「ビスミッラーヒ……」『開端章』『もうひとつ別の章』を読んで、サラー トの足りなかった要素を全て補います。

    7. 最後にもう一度座って終了の言葉を唱え、終了します。

    E 旅行中のサラート

    旅行をすると、普段 自分が住んでいてよく知っている場所から離れることでいろいろと不便があり、サラートも大変なものです。イスラームでは 「旅行者」に限ってサラートを短縮できます。また、ズフル とアスルを同じ時間に、マグリブとイシャーを同じ時間に続けて行なうこともできます。

    「旅行者」の条件

    旅行している人全てがイスラームでいうところの旅行者ではありません。イスラームにおける 「旅行者」とは、次の条件にあてはまる人です。

    自分の普段住んでいる場所からおおよそ 80キロメートル以上離れた場所ヘ行き、そこに 15日未満 (つまり14日以下)滞在しようという意思を持っている人。

    つまり、たとえ日帰りの旅でも80キロ以上の距離を移動すれば、その人は「旅行者」としてみなされます。

    また、80キロ以上の所にあるホテルや旅館にたどりつき、そこで十分くつろいだとしても、そこでの滞在予定が 15日未満であれば、その人はまだ 「旅行者」です。 しかし、目的地が80キロ未満であったり、到着地での滞在予定が15日以上であった場合は普段通りのサラートをします。

    また、注意して欲しいのですが、「旅行者」になるか否かはその人の 「予定」によります。つまり80キロ以上 15日未満の旅行の予定のある人は、自分の家を出た時から 「旅行者」です。例え自分の家から10キロしか離れていなくても、あるいは帰りに自分の家の近くまで来ていても、自分の家にたどりつくまでは 「旅行者」です。

    またたとえばある人が80キロ以上 15日未満の予定である場所に泊まっていたとします。その間ずつと短縮と結合のサラートをしていましたが、急に滞在予定を延長し、 15日以上滞在することにしました。その瞬間からその人は「旅行者」ではなくなり、その次の回からのサラートは平常通りにやらなければなりません。ただし、それまで行なった短縮 ・結合礼拝はやり直す必要はありません。また、旅行先で集団礼拝に参加 し、地元のイマームの後につく場合、イマームに従って平常通りの回数を行なぃます。

    F 短縮礼拝と結合礼拝のやり方

    それぞれのサラートにおける短縮の仕方は次の通りです。

    通常 短縮
    ファジュル 2ラカート 2ラカート
    ズフル 4ラカート 2ラカート
    アスル 4ラカート 2ラカート
    マグリブ 3ラカート 3ラカート
    イシャー 4ラカート 2ラカート
    ウィトル 3ラカート 3ラカート

    ジュムア:旅行者にとってジュムアは義務ではないので、参加しなくても構いません。代わりに2ラカートのズフルをします。

    スンナ:旅行中はスンナは重要度が下がり、ほとんど任意のサラートと同じ程度になります。ですから、やってもやらなくても構いません。しかしもし行なうとすれば短縮はしません。

    短縮礼拝はラカートの回数が減って短くなる他は、それぞれのサラートのやり方と同じです。

    結合礼拝はズフルの時間、もしくはアスルの時間にズフルとアスルを続けて行ない、マグリブの時間、もしくはイシャーの時間にマグリブとィシャーを続けて行ないます。ファジュルは他のサラートと結合しません。

    自動車、列車、飛行機、船などの中でも、ふらついて転ぶ心配がなければ立ってサラートすべきです。そうでなければ座ったままサラートできます。乗り物に乗っている時も、できる限リマッカの方角を向きます。

    イスラームの教えはあらゆる時代、あらゆる状況に対応しています。例えけがをしたり病気をしたりしていても、サラートをする方法はあります。また無理はありませんから、けがや病気が重くて意識がもうろうとしているような場合は免除になります。それでも、病気やけがの時のサラートのやり方があるということは、サラー トがどれだけ重要かということを物語っているのです。

    けがをした時のウドゥー

    出血をするとウドゥーは壊れてしまいますから、けがをした時はウドゥーの前に手当てが必要です。例えばもし指を切ったりして指に包帯や絆創膏を巻いている場合、濡らした手で一度包帯の上からなでることで洗う代わりになります。また、骨折して足にギブスを巻いているような場合も同じです。この時、絆創膏やギブスの全体をなでる事がポイントです。

    ベッドからまったく動けないような場合、ウドゥーの代わりにタヤンムムをします。(前述 「タヤンムム」参照)

    H からだが不自由なときのサラート

    けがや病気などで通常のサラートの動作ができない場合には、どんな姿勢でもサラートはできます。例えば、膝の関節が悪くて正座ができない場合、椅子に腰かけてサラートできます。このとき、ルクーやサジダの代わりに、それを示す動作をすれば良いのです。その時、ルクーとサジダの違いが分かるように、前への傾き方で区別します。サジダを示すのには、ルクーより深く傾きます。

    片足をギブスで固定している場合、その足は前へ投げ出して床にすわり、そのままサラートできます。足に障害のある人も同じです。

    ベッドに寝たきりの場合、もしできればベ ッドを動かして足をマッカの方向に向けてもらいます。そうして上体か頭を少しだけ起こしてもらい、そこに枕などをあてがいます。そうしてその姿勢でサラートします。ルクーやサジダは頭のわずかな傾きかげんで区別します。ベッドを動かせない場合、顔を右か左に傾けてマッカの方角を向き、サラートします。痛みなどにより顔をマッカの方角に向ける事ができない人は、どちらを向いたままサラートをしても構いません。 このように、どんな場合でも無理なくサラートができるのです。

     

    『イスラーム~アキーダとイバーダ』より

     

 
アキーダとイバーダ【はじめに】【第1部 アキーダ (信仰箇条)】